2014年10月13日月曜日

パープの歴史 その3

 
六角形のピアノ
1845年PAPEによるデッサン
'NOTICE SUR LES INVENTIONS ET LES PERFECTIONNEMENTS DE H.PAPE '
(Gallica.bnf.fr/Bibliothèque nationale de Franceより)
 
現存するパープの六角形のピアノ

パープは1919年に洋服商の友人の娘Zélie Ficherと結婚しました。
二人の間には3人の子供が生まれたのですが、うち二人は若くして亡くなってしまいます。
とりわけ楽器製作に対する類まれな才能を持っていた末の息子を17歳で失くしたパープの悲しみは大きかったことでしょう。

パープの全盛期は1848年頃まで続きました。
発明に次ぐ発明、多くの特許を申請すると同時に、ブルジョワ階級に売れるおしゃれで小さなサイズのピアノが成功しました。
博覧会で何度も受賞し、人々からは彼の新しい発明を楽しみに注目され、話題となっていました。
一時期はロンドンにも支店を出し、ピアノ販売を広めました。

パープは、大衆、とりわけブルジョワ階級の女性たちの間で人気となりましたが、業界では敵も作ったようです。
彼の試作品が次々に博覧会で発表され、人々の注目を浴びると、不満を抱いたライバル会社たちが結束して邪魔をしたようです。
やがて彼は博覧会で無視されるようになり、自分の仕事を真に評価してほしい、と訴えます。
パープの文章から理解したことですが、すでにこの頃から、コンクールで賞を取るためには権威ある審査員とのコネが必要であり、審査は必ずしも専門的な知識や技術を持った人が真の評価をするものではなかった、ということです。
 
可哀想な話もあります。
彼の発明した「ハンマーフェルト」は1826年にフランスとイギリスで特許を取得したのですが、真面目なイギリス人たちが「ハンマーフェルト」採用にあたり特許料を支払ったのに対し、フランス人たちは巧みに逃れて支払わなかったそうです。
フランス人製作家たちは、「イギリス仕様のフェルト」を使用するのだと言い、それは「パープのフェルト」とは異なるものだ、なぜならイギリス仕様のフェルトは白色なのに対しパープのフェルトは緑色だから、と言い逃れました。 
パープは、特許の中ではフェルトの色を明記していないと言って、フランス人製作家たちの言い逃れを抗議しました。
緑色を使用する理由については、虫を寄せ付けない素材を試すため、と説明しています。

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